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2・11集会 鹿児島からの報告

大平政徳(鹿児島県歴史教育者協議会)

今年の2・11集会は「今、憲法・教育基本法が危ない!」と題して、県歴教協・県平和委員会・日本科学者会議鹿児島支部・県民教連が主催団体となって、鹿児島市の鴨池公民館で開催しました。

自民党や民主党が「新憲法草案」「憲法提言」を出しているなか、通常国会に「国民投票法案」や「教育基本法改悪案」が提出されるのは必至です。

これまで「国民主権」に関わるその時々のテーマを掲げてきましたが、今回の集会では憲法・教育基本法を真正面にすえての問題提起と討論を行いました。
参加者は35人でしたが、情勢を反映して、充実した集会になりました。

科学者会議の小栗さんが「建国記念の日」制定の歴史や、「昭和の日」の問題点に触れた挨拶のあと、最初に、民教連副会長の今村俊一さんが「憲法・教育基本法改悪をめぐる動き」と題して提起しました。

まず第1に、憲法9条の存在意義を強調。
日本は戦後一人も殺していないし、戦死者も出していない。
9条2項の存在は、「テロ特措法」「イラク特措法」でも武力行使をできなくさせている。
武器輸出3原則や、防衛費の量的制限そして何よりも徴兵制を許していない。

第2に世界的視野でみると、9条への国際的注目が高まっていること。
「国連憲章に基づく平和の国際秩序」をめざす流れが広がりをみせており、そこでは9条の意味が深くつかまれていることを指摘しました。

第3に、改憲の動きは日米同盟強化の動きと連動しており、自衛隊が米軍と一体となって作戦できるための体制づくり(海外で戦争する国にする体制づくり)が根底にある事の指摘。
9条改憲はまさにアメリカからの圧力。

第4に、今国会での焦点である「国民投票法案」の問題点を次のようにまとめました。

@改憲の発議から投票までの期間が短かい(30〜90日程度)
A投票権の年齢(20歳、18歳)
B過半数の意味(有効投票、投票総数)
C改憲案の賛否(一括、個々の条文)
D報道や運動の制限

最後に「9条の会」が大きく前進していることや、憲法・教育基本法の改悪に反対する集会が大きくなっていることなど運動への期待を述べました。

引き続いて県歴教協から大平(筆者)が、「『愛国』心の人間像?〜教基法改悪がねらうもの〜」と題して提起しました。
まず、教基法のどこをどう変えようとしているのかを、大きく3点に絞って説明。

@前文・第1条に「歴史や伝統」「愛国心」を入れる。
A3条の「権利としての教育」を<ひとしく>を削除することで、「能力別教育」に変える。
B10条の「教育権の独立」を、国家による教育統制に変える。その手段としての教育振興基本計画。

次に改悪がめざしている人間像に絞って説明。

@現行の教育基本法、中教審答申、与党検討会の中間報告、民間教育臨調の「大綱」を比較対照し、「平和」「民主的」を削除し「公共の精神」「「伝統・文化」「郷土や国を愛する心」を入れる点を確認。

A「心のノート」の論理構成が 自分→他人との関わり→命や自然→社会(家族・郷土・国)となっていることを分析。
それは、戦後の教育勅語復活(=教基法改悪)への動きの中で提唱された人間像と同じであることを、天野貞祐の「国民実践要領」、や「期待される人間像」を読み解く中で例証。
そして、その家族→郷土→国の最後に「天皇」が来ることを、小林よしのり『戦争論』の一場面(彼らが命を捨てても守るべきものそれは・・・祖国であり、郷土であり、家族であり、天皇であった)で示しました。

B西部編集の『新しい公民教科書』の独特の「公民像」を、序章と最終章を分析する中で説明。
<「公民」とは、ただ「私」の利益や「私」の好き嫌いの世界に安住するのではなく、その「私」が属している国の歴史と文化をふまえて、「私」の属する国の未来への展望をもとうとする「市民」のこと>

D以上を小括して、教基法改悪の人間像と「心のノート」「公民教科書」の人間像はぴたりと重なること、そしてそれは「教育勅語」の<一旦緩急あれば義勇公に奉じ>と同じ地点にたっている事を指摘しました。

2人の問題提起を受けて、後半は質疑応答・意見交換。
参加者の中から出された意見を箇条書きにしてみます。

@戦前「皇国史観」を刷り込む時の状況を考えると、今のマスコミは大きな問題点をかかえている。

A親・郷土を愛するのは自然な感情。ところが「愛国心」は邪魔者(敵)は殺せという侵略主義・軍国主義と結びついている。9条の改悪と「愛国心」がセットになることが危険。

B国際的な動きを聞いて元気が出る。天文館での署名では若者(=特に女性)がよく署名をしてくれる。そこには徴兵制への恐れが見られる。その点で対立点が明確になってきている。

C『男たちの大和』は宣伝から受ける印象と違って、映画そのものは戦意高揚映画ではない。<愛する人を守る>と言って出撃するが、恋人は原爆で死んでしまう。一体何のために出撃したのか、それは軍隊のメンツを保つための出撃だったのでは?

D新聞を使っての授業が流行しているが、新聞に書かれていることが全て正しいと考えるのは問題だ。

E『新しい歴史教科書』を読んでみて、女性蔑視があからさまであることに驚いたが、「賛成側」の意見も自分で読んで批判することが大切。

F道徳心が低下している中で、「心のノート」に書かれていることは必要なのでは?という疑問が出された。それに対して、心の育つ場所は社会的な場であるのに、『ノート』の世界は、全ての徳目を自分でやっていくものという<個人>の観点からしか見てない。それはまた、新学力観における<学習は1人でするもの>という立場を強調し、<協同で学び合う>という視点がない事と同様である。

G「ノート」が県や郡の道徳研究会や「実施の実態調査」を通じて広がってきていることも報告されました。

最後に平和委員会の桑畑さんが、一人ひとりが行動することで運動を広げていこうと閉会の挨拶を行い、今年の2・11集会は終了しました。

(『かごしま歴教協通信』 No.34 2006年9月)

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