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平和のための戦争論序説A

大平政徳(鹿児島南高校)

2 戦争を社会の発展史で考える

戦争も社会的な事象です。
当然その生成発展消滅を考えることができます。
このように論を組み立てることにより,<戦争を知らない時代>が存在していたこと,そして<戦争を知らない時代>が来ることを人類史の中に組み込むことができるのです。
それは,戦争の原因を<人間の闘争本能>とする論を根底的に打ち破ることができます。
ところで,社会の発展段階という考え方は基本的にマルクスの唯物史観に拠っています。
マルクスの理論が古くなったとよく言われますが,社会や歴史を総体として見る場合,唯物史観は現代でも豊かな分析の道具を提供してくれています。

さて,戦争のなかった時代とは原始共産制社会です。
その社会は母系制の「平等」社会で,「富」の蓄積が存在せず,貧富の差がない代わりに「飢餓の平等」と言ってもいい社会です。

では戦争はどこで生まれたのか。
富の蓄積による私有財産の発生に求めることができます。
それは,私有財産を自分の子どもに相続させる男性優位の社会をつくりだし,<女性の世界史的な敗北>を生み出したのです。
男性が女性を支配する社会の誕生とともに,少数の富(=私有財産)の奪い合いが戦争を生み出したといえます。
そしてこの富の奪い合いという根源的な動機が,現在の戦争の根本的な原因にもつながっているのだろうと推測されます。
富の奪い合いは同時に身分や階級を生み出し,少数の支配者と多数の被支配者を誕生させ,少数の支配者のための権力(=暴力装置)である「国家」を生み出すことになります。
そうして国家の暴力装置である軍隊を使用して,支配者の富を拡大するための戦争が始まるのです。

だから,戦争の根本原因は階級社会の存在に求めることができます。
階級社会では一部の人々が経済的に冨を独占するのです。
社会の構成員全員が「幸せ」を実現できる経済的条件がないとき,自分だけは幸せになりたいという思いが「生存競争」を生み出し,支配者と被支配者の階級を生み出すのです。
それは奴隷制社会でも封建制社会でも資本制社会でも同じことです。
であれば本質的に,戦争のない社会とは富を奪い合う必要のない社会となります。
社会発展の考え方からすれば無階級社会(=共産主義社会)ということになります。

この考え方は,戦争の根本的な原因を経済的なものと指摘しています。
これに対しては戦争の種々の要因(=民族の対立・宗教の対立など)を無視していると反論されそうです。
しかし,種々の原因も経済的背景があることを考えれば,経済的問題が解決すれば原則的には戦争をする根本的要因は解消するのです。

読者諸賢にとっては筆者がきわめて古めかしい理論を展開しているように思われるかも知れません。
しかし,この人類史の大きな流れにたって「戦争と平和」を考えることが<21世紀の今>という時代に決定的に重要になっていると思われます。

ガルトゥングが『構造的暴力と平和』で,「消極的平和」と「積極的平和」を区別しています。
「消極的平和」とは直接の暴力である「戦争のない状態」です。
「積極的平和」とは,南北問題に象徴される貧困・飢餓・差別・抑圧などの「構造的(間接的)暴力」を解決した状態です。
私たちが目指す平和の方向はまさにガルトゥングの言う「積極的平和」ではないでしょうか。
そこには明らかに富の偏在という経済的問題が存在しているのです。
それが戦争・紛争を誘発しているのです。
いやもっと言えば,私たち先進諸国の国民が自らの「豊かさ」を享受するために発展途上国を犠牲にしているのです。

現代の戦争は米英を中心とする先進諸国がIMF ・IBRD ・WTOの国際組織を利用しながら,資本のグローバル化を図るために同盟を結び,それに従わないものを抑圧する構造を本質的に持っています。
圧倒的なハイテク兵器で米英の兵士は「死なない」戦争を企図しているのです。
それでもイラク戦争で3000人もの米兵が,「戦争終結」後のイラク占領統治に関わって戦死しています。
しかし,イラクの人々はその10数倍の死者を数えるのです。
アフガニスタン・イラクの攻撃された側で女性・子どもを含む一般市民の犠牲が何と多いことか。
現代の戦争は「非対称の戦争」なのです。

社会発展史を土台にして「戦争と平和」を考えることが大切であるというのには,もう一つ理由があります。
イラク開戦前,世界中で戦争反対の声が上がりました。
市民たちを中心に集会やデモが繰り広げられました。
平和をつくることを考える場合,この市民の運動に依拠しそれを大きく広げていくことはきわめて大切なことです。
しかし,ここでこの市民たちの運動が,世界中につながることで平和がつくられるかといえば,それは幻想に過ぎません。
地球市民的な意識が成長することで,直ちにそれが世界の平和につながるということはないのです。
そこには「国家(=政府)」の範疇が抜けているからです。
現代の世界を構成しているのはやはり国家の連合体です。
独立した主権国家の意思として「戦争の放棄」を実現することが必要なのです。
生活者として地域住民としての「戦争放棄」の意思を,国家の意思にしなければなりません。
その国家の連合体としての国際連合がそれを集約して,戦争の放棄を実現するという段取りが現実的な道です。

(『かごしま歴教協通信』 No.36 2007年9月)

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