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2006年歴史教育者協議会県大会報告(小学校分科会)

山元研二(西谷山中)

校区の「福地碑文」とアジア・太平洋戦争
  〜地域・民衆から歴史を問う社会科歴史学習の試み〜
  報告 白尾裕志(湯之尾小学校)

はじめに

白尾さんの実践の特徴をいくつかあげてみると

@「常に全体的な見通しを持ちながら授業実践を進めている」
A「子どもの視線、実態を大切にし、必要によっては授業計画を変更する場合もある」
B「どういう学力を身につけさせるかを意識しており、教育課程のありかたに常に気を配っている」
C「地域から社会を見つめる授業実践である」

というものがあるように思える。

これまでの「知覧の茶」「垂水の漁業」「牧ノ原の畜産業」を扱った授業でもそれが手に取るようにわかる実践であった。

あと、個人的に言わせてもらうと「授業記録のありかた」についても多くのことを教えてもらったような気がする。そんな白尾さんが、牧ノ原小学校(前任地)で行ったのがこの実践である。

1 「福地碑文」

日清戦争の学習に入る頃から地域に残る戦争に関する調査を進めていたところ、福地地区の子どもたちが共通に調べてきたのが、福地地区の忠魂碑「福地碑文」であったいう。
ただ、あちこちにある忠魂碑と違うのは、鬱蒼とした林の中にほとんど手入れもされていない状態にあるということであった。
そして、碑文そのものの特徴としては1953(昭和28)年サンフランシスコ講和条約直後に建立されているとうことがあげられる。
授業でふれられているが、その碑文には当時の人々の思いというものがある意味で「率直に」表現されていた。

2 授業内容

教科書を読み、その事実を「碑文」で確認することから始まる。碑文の一部を原文で一部紹介する。

昭和12年7月7日呂溝橋事件ニ端ヲ発シ戦争ハ支那全土ニ拡大シ日支事変ト改称亜細亜民族開放ノ理想ハ米英両国ニ妨害サレ事変ノ未解決ノ中ニ昭和16年12月8日東条内閣米英ニ宣戦ヲ布告ス

白尾さんは、教科書と碑文を表現の違いを子どもに「感想」として書かせ、その「感想」をもとに情報統制された当時の状況を子どもとともに考えていく。その過程を次のように述べている。

「このように子どもの感想をもとに教科書の学習内容を進めることで、教科書の学習内容と子どもの認識が補完しあい、他の子どもの認識形成を促す働きをする。
また、子どもの感想に見られる見方・考え方の違いが認識を広げる役目を果たしている。
歴史事実についても教科書と地域の事実から確認することで知識としての定着も図られる。
さらに子どもの感想は、理由の中に予想も含んだものが時々出てきて、これを学習の中に位置づけながら学習を進めることで、学習への意欲や関心を持続する働きもしている。」

感想を授業終了後ではなく、導入の段階で書かせそれを教材資料として活用していくという方法に大いに学ぶことができたように思う。

その後、授業は次のように展開していくが、紙幅の都合で下記のように要約する。

授業2「日本政府はポツダム宣言のどの条件を恐れたのか?」

ポツダム宣言受諾の遅れについて、子どもの感想にある「天皇」の問題、いわゆる「国体護持」の問題について解説し、碑文にある「英霊」の意味や靖国神社についてもふれる。

授業3「敗戦と日本国憲法について」

ポツダム宣言受諾後のさまざまな「戦後改革」について触れ、その流れが「日本国憲法」制定へとつながっていくことについて確認する。

授業4「日本の独立と福地忠魂碑碑文」

「忠魂碑がなぜ、戦後8年たってから建てられたのか?」について学習する。おそらく、占領下において「英霊」賛美の碑の建立など許されなかったであろうことと同時に、講和条約と安保条約が同時に結ばれた経緯についても学習する。

このうち授業4は姶良小社研での研究授業として公開され、指導案の「本時の実際」も資料として掲載されていた。

おわりに

県内各地に「忠魂碑」や「慰霊碑」はあり、数年前に中社研でその調査に取り組もうと呼びかけた時期もあったが、その碑自体を教材資料として位置づけ、批判的に読み解いていく手段として「子どもの感想」を用いるという発想に大いに啓発されたように思える。

なお、筆者の調査によれば県内の「慰霊碑」は1968年前後の「明治百年」の記念行事として建立されたものが多く、戊辰戦争以降の戦没者が祀られているのがほとんどであるが、「台湾征伐」など「差別的言辞」も多い。

したがって、白尾さんの手法を用いて「批判的に読み解いていく」授業は実践として広がる要素を多分に含んでいるように思う。
(分科会における論議内容は、概ね報告の内容に沿ったものであったり報告の補完にあたるものであったので省略しました。)

(『かごしま歴教協通信』 No.34 2006年9月)

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