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大会報告 > 第49回大会の感想

第49回 県歴教協大会の感想

新澤あけみ(羽島中)

・まず、はじめに

大平先生から電話で「今年の県歴教協大会は、静岡の加藤好一先生を呼ぶからね。」と聞いた瞬間、私は「えっ、本当ですか!」とうれしさで声が踊ったような気がしました。

そして、すぐに大平先生から「人をたくさん呼びたいから、新澤さん、チラシに加藤先生の紹介文を書いてね。」と頼まれ、うまく紹介できるかという不安はありながらも「はい」と答えました。

なぜ、私が、加藤好一先生が今年の講師と聞いて、うれしかったか。
それは、加藤先生と少し縁(?)があったからです。
それは、私が‘96年の歴教協静岡大会の夜のつどいで、加藤先生のサークルの紹介に参加して以来のことです。
それ以後、私は加藤先生の機関誌「ゆい」の購読者として、毎月機関誌を郵送してもらっています。
そして、鹿児島に関する新聞記事があれば同封してくださったり、特攻に関する研究授業をすると伝えれば、すぐさまお持ちの特攻に関する書籍を送ってくださったりと、大変お世話になってきました。
だから、私は人一倍、加藤先生に会える当日をとても楽しみにしていたのです。

<県大会当日 期日:2007年7月29日 場所:鴨池公民館> 

・開会行事

講師紹介があったせいか、例年と違い、多少緊張しながら私は当日を迎えました。
私は、加藤先生の人柄の良さは十分知っていましたが、「とにかく、超・有名な実践家の経歴を間違えないように。」とドキドキしながら講師紹介を終えました。

・参加者

参加者は31名でした。例年より多いと感じました。
きっと、大平先生をはじめとする事務局のご尽力や中社研による呼びかけが効を奏したのだろうと思います。
(ちなみに私も連れ合いも知り合いに電話で声を掛けるなどしました。)

・講演の内容と感想

講演のタイトルは、「今 授業の何を変えるのか」です。

はじめに、加藤先生は担任した学級が獲得した一枚の賞状を見せました。
しかし、その賞状の枠には、たくさんの落書きがあり、荒れた学校に赴任された苦労話をされました。

「授業を聞いていない」→「授業が分からない。」→「騒ぐ」→「叱られる」→「むかつく」→・・・という「悪魔のサイクル」が行われていたというではないですか。
あのベテランの加藤先生にもこんな時代があったのかと思うと、衝撃的である一方、何だか変に励まされ、(私も頑張っていこう)と妙な心強さを感じました。

では、このような生徒指導困難校で、可能性を開く“切り口”はどこにあったのか。

加藤先生は、生徒の「分かりたい」という願いに応えつつ、めざせ100点ではなくても、まずは+10点の実践を目指したとのことです。
それが10分間ミニテストであり、教科書をみてもよいと工夫され、定期テストにも出題したと言います。
次第に、生徒は意欲的になっていったそうです。
同時に、加藤先生自身も、教材の発掘や授業づくりに取り組み、生徒の信頼を得るようになってきたという話でした。

続いて、「公民」の授業開きの授業を追体験させてくれました。中学公民教科書の最初の単元は、「大量消費社会の出現」で、平板な語句が羅列されています。
正直、私も、これまで淡々と授業を進めるという、暗記型のダメダメ授業をしていました。
加藤先生なら、どのように展開されるのか、興味津々でした。

加藤先生の授業作りの方法とは、

★導入部・・・まずは、生徒(参加者)に「???」と思わせ、テレビの歴史を振り返る

導入で、広場に群衆が集う写真を参加者に見せました。
みな、子どもの視点になって、(おや、何だろう?)と大判資料に釘付けになりました。(「新版戦後50年」) 
注視したところで、加藤先生が「写真を見て、気付いたことや疑問を言ってください。」と初発問をしました。
「たくさんの人がいる。」「男の人が多い。」「何かを見ている。」と参加者から声が出ました。
続いて、加藤先生は、別資料を見せました。「力道山のプロレス中継を地域の人が視聴している様子」が分かりました。
そして、放送開始と10年後のテレビ台数の客観的・数的資料を提示しました。
すると、テレビ初放映の契約件数886件が、10年後の1963年にはテレビ契約件数1000万件突破したというではないですか。
参加者はみな、実際数字を知り、驚きの声を挙げました。
さらに、加藤先生は、「では、そんなに普及したテレビには、他にはない、どんな良さがあるのでしょうか。」と問い、「リアル・同時性・速報性・わかりやすい」と言ったテレビの魅力が量産につながったこと、そして、このことが「大量消費社会」であることを明快な口調で補説されました。

★展開部

展開では、生徒も知っているサザエさん一家を取り上げ、興味を引きつけました。
そして「サザエさん一家の電化製品の普及からわかることを考えよう。」と発問し、磯野家の生活年表(「サザエさんの正体」)から考えさせました。
この資料から「昭和30年代は、冷蔵庫や掃除機など生活を便利にしたものが多いこと」「昭和40年代は、ステレオやカセットレコーダーなどの生活を豊かにしたものが多いこと」「大量生産・大量消費・大量廃棄」などに気づきました。
また、生徒全員が授業に参加し、それぞれに活躍できる場を与える大切さも教えてくれました。

★まとめと発展の部

最後のまとめでは、「では、こういう大量消費社会の中で、人々の意識は、どう変わっていくのだろうか。」と投げかけ、さらに、「公民」という教科を学ぶ意味を生徒に伝えていっているという話でした。

・この授業作りの舞台裏

「加藤先生はやっぱりすごい!!」と感じたのは、教材発掘のためのたゆまぬ努力と綿密な授業計画です。

生徒を引きつける導入部分の「???」の資料をアンテナを立てながら探したあとは、「授業は生き物である」という考え方から、授業展開をイメージし、授業プランを何度も練り直し、そぎ落とすところはそぎ落としながら、休み時間までも使って、さらに授業計画・内容を練り上げているというのです。

こういう熱意が生徒の心を引きつけていくのだと実感しました。

・授業とは?

加藤先生は言います。
「授業とは、教科書などの平板な羅列を主体的思考深化の構成体に変えること、及びその具現化であるんだ。」と。

「ねらい」を確かなものにしつつ、教えたい内容の羅列を、学びたい内容の順序に変える→資料を効果的に組み合わせ、さまざまなタイプの生徒がそれぞれに参画できる場を保障する→現実の生徒の現れに対応しつつ、その反応を的確に活かしながら「紙の上のプラン」を「実際の学習」に転化する。

と。

・その他の実践と失敗について

加藤先生は、板書しながらも、背中でも応答するのだそうです。
聞きながら、私にはかなり高度な技量を必要と感じました。

上記の授業以外にも、

・絵図や写真資料から多彩な反応を引き出す実践(例えば、産業革命で「馬の子」の絵図使用し、児童労働などについて考えさせる)
・対立から課題・問題意識を引き出す授業実践(例えば、ダビデ像はどんな場所に建てられたのかと問い、練り合わせる)、
・対比から思考・学び合い・予想・イメージの授業の流れをつくる実践(例えば、織田信長と豊臣秀吉の対比、勘合貿易と朱印船貿易の対比など)を紹介してくれました。

また、「失敗例」をビデオで紹介されました。
しかし、私にはどこが失敗なのか、私には十分すぎる授業のように見えました。
それよりも、失敗を他人に見せる度量の深さを改めて知ることでした。
私も研究授業でビデオに撮ってもらったことはありますが、一度も見たことがありません。
加藤先生曰く、「失敗した授業ほど学べる」という話を聞き、自分自身をまた反省することでした。

・自主学習ノートについて

加藤先生は、生徒に自主学習ノートを提出させるそうです。
それは、授業で学んだことを軸に、調べたことや自分の考えを入れてじっくりまとめ直すノートです。

講演では、ノートを初めて提出したという男子生徒のノートを紹介されました。
とてもつたない字でした。
多分、私がその生徒の担当教諭なら、「よく提出したね。でも、字がとても雑だね。次はしっかりした字で丁寧に書いてくるように。」と言うにちがいありません。

しかし、加藤先生は違いました、字には決して触れず、ノートを初めて書いてきたという生徒のその意欲をまずほめ、自分の言葉でまとめあげた内容を熱っぽく評価したとのことです。
その結果、その生徒は、その後も提出しつづけ、回を増す事に、まとめ方も着実に向上してきたというのです。

この話を聞いて、授業を超えて、生徒の力を引き出す加藤先生の人間性に感銘を受けると同時に、発達の可能性を秘めている生徒が私の身近にもたくさんいる(いた)ことを改めて知り、だからこそ、その力をつぶすことがないように、教師側の十分な働き方をすることの大切さを痛感しました。

・最後に

講演を聞いた参加者はみな、授業構想の描き方やすぐに役に立つアイデア満載の加藤先生の話の内容に引きつけられ、満足していた表情を見せていました。

そして、超ベテランにも関わらず、常に生徒が熱中する楽しい授業を追究していく姿、生徒の考えを大切にする姿、自らの授業の技術を高めていらっしゃる姿に刺激を受けたことと思います。

前述の講師紹介の際、私は自宅にあるたくさんの加藤先生の著書から4冊を選んで持っていき、講演の終了後、サインをもらいました。
それには、加藤先生のお名前と共に、「共に学ぶ者として」「全てを疑い、真実を見通す」「“ゆい”が結ぶ実践の同志へ」「鹿児島にも共に教育を語る仲間あり」というコメントを書いてもらいました。
私の宝物にしたいと思います。

加藤さんを前にした緊張感と私の性格上、加藤先生とペラペラとは話せませんでしたが、ここ鹿児島で会えただけでも幸せでした。

(『かごしま歴教協通信』 No.36 2007年9月)

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