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歴教協第58回埼玉大会に参加して

新澤あけみ(羽島中学校)

1 はじめに

埼玉大会の案内を見たとき、(これはぜひとも行きたい!!)と思った。
躊躇する気持ちもあったが、パートナーが育休をとっていたこともあり、(今年は、私の番だ!!)と思い、参加した。

2 全体会

7月29日午後1時、埼玉県所沢市で行われた。
約1300名の参加者。開会のあいさつや基調提案のあと、埼玉の高校生・大学生の平和についての取り組みの発表と講演、対話が行われた。

<地域実践報告>
(「埼玉発、平和をつくる若者たち」)
歴教協埼玉大会
「平和を願う」若者たちの取り組みが、詩の朗読や合唱・映像・和太鼓演奏・朝鮮初中級学校の生徒の舞踊などを通して発表された。
教師が一切登場せず、こんなにすごい報告を聞いたのは初めてだった。
また、平和に対する熱い思いが以前に比べ少なくなってきた今の自分自身と正直に向きあい、未来に向けて自分はどうすべきなのか、と真剣に考える若者の姿に感動した。

<講演>
「21世紀をどう切り拓くか」という姜尚中さんの講演。
20世紀の総括から、今、全体主義に向かっているのではないかという問題提起があった。
しかもその推進力が貧困化しつつある若者層にあると指摘された。
日本の若者が未来への希望を持てない中で、全体主義の共感を深めているということを警鐘として受け止め、教育に携わる私たちが、若者たちにどういう未来を描けるか、どういう社会にしていくかが大変重要になると感じた。

<対話>
講演後,姜尚中さんと若者が対話する時間があった。
姜尚中さんの誠実さと若者が自分の言葉で「学び」の必要性をしっかりと語る姿に感動した。 歴教協埼玉大会

3 地域に学ぶ集い

7月30日午後5時30分〜「稲荷山鉄剣とさきたま古墳群」に参加する。
古墳の構造を細かいところに渡って説明してもらう。
特に「尾張地方の人々の移住が関東低地の開発の始まりだったかもしれない、その移住は大和王権の政策かもしれない。」という話に驚いた。

4 分科会

今年の目玉は何と言っても、三分野の授業づくり入門講座が開かれたことである。
分科会初日(30日)の午前中に時間をずらして(1時間ごと)ベテランの社会科教師による入門講座が行われた。
とてもおいしい内容であった。

<地理>
埼玉・草加の春名政弘氏の「教え、調べ、学び、結ぶ中学社会科1年地理の授業(草加と埼玉県の学習を中心として)」実践報告。
地域をつくる人との出会いを大事に、さらに生徒が自ら調べるといった授業の紹介。

<公民>
東京の石戸谷浩美氏の「基本的人権をめぐる論争を生徒授業で学ぶ」という報告。
基本的人権をめぐる現状と課題について、少しでも身近な問題として考えさせたいという思いから、死刑制度や靖国問題など、8つの論争的なテーマを設定して、グループで分担して調査させている。
賛成論、反対論それぞれの憲法上の根拠をまとめさせた上で、「生徒授業」の形で現状や個人の見解を発表させ、全体で意見交換を行った実践であった。

<歴史>
静岡の加藤好一氏の「女パワー炸裂〜米騒動と民衆運動」の授業づくり。
事前の教材研究や授業構想のつくり方を具体的に紹介され、授業の様子もビデオを使って解説してもらう。
全ての生徒を参画させる授業技術とはどのようなものかを教えてくださった。

入門講座を三分野学んだ後は、そのまま中学校歴史分科会に参加した。

<歴史分科会のレポート> 
参加者約60〜70名 
・「私の歩んできた道―教師という夢に向かって」(埼玉 山口綾香さん)
・「高校生は中学校の授業をどうとらえ、高校の授業にどんな意識で参加しているか?」(埼玉 川口芳彦氏)
・「南京大虐殺と中学生―15年戦争をどう教えるか」(埼玉 中條克俊氏)
・「戦争学習の課題と方法」(京都 辻健司氏)
・「9.11以後の世界と平和学習と中学生」(埼玉 小堀俊夫氏)
・「どうする近現代史の授業―年間計画と実際の授業」(埼玉 倉持重男氏)

5 閉会集会

大会参加者は31日正午の時点で1431名。
久しぶりに閉会集会まで参加した。
歴教協埼玉大会
白尾さんが分科会の様子を発表している姿をみて、同郷の一人として誇らしく感じた。

6 現地見学:Fコース「足尾鉱毒事件を歩く」

Bコースの「秩父事件」(2泊3日)にするか、Fコースの「足尾鉱毒事件を歩く」(2泊3日)にするか、悩んだが、結局、授業に還元できるFコースを選んだ。(Bコースは何と定員に満たなくて開設できなかったとのこと。)

(1)8月1日(火)
この日は、渡良瀬川上流の旧足尾町(現日光市)を中心に見学した。

■旧松木村・松木渓谷 
ここでは、NPO法人「足尾に緑を育てる会」の代表神山英昭さんによる説明を聞きながら見学をした。
1853年の調査では、松木村には37戸178人が養蚕や大豆、野菜などの畑作を行いながら住んでいたという。

しかし、足尾銅山の開発によって、濫伐が行われ、1884年以降は亜硫酸ガスによって山林が破壊された。
さらに酸性雨で土壌が汚染されて農産物は壊滅し、松木村民の生活は困窮。
1901年に松木村は廃村となった。

現在、足尾銅山の緑は、約半分、元に戻ったらしいが、本当に戻るには100年〜200年かかるだろうという話だった。
実際、表土がむきだしになっているところも多く、煙害による被害の実態を実感した。

この松木渓谷は、「日本のグランドキャニオン」と呼ばれることもあるそうだが、あまりに実態を知らない、残酷な表現であると言わざるを得ない。
歴教協埼玉大会
普段、関係者以外ここに立ち入ることは出来ないので、貴重な機会となった。

■足尾ダム・足尾環境センター
山林の壊滅は深刻な土壌の流出をもたらし、渡良瀬川への土砂の流出をとめるために、1955年に当時日本最大の砂防ダムとしてつくられたのが足尾ダムである。

足尾ダムの一角につくられたのが足尾環境センターで、松木村の被害と廃村のいきさつについての展示が充実していた。
松木村が提出した「人命救助嘆願書」(複製)も必見であった。

■足尾製錬所跡・竜蔵寺
富国強兵・殖産興業をスローガンとした明治政府の政策を追い風に,古河市兵衛は、東洋一と称される大銅山に発展させた。
明治中期から大正前期までは全生産量の80%前後を輸出していた。

竜蔵寺(天台宗)には、足尾銅山で働いた坑夫たちの墓がある。
彼らの出身地は、越中・越後が多い。それは、古河市兵衛が足尾銅山を買い取る前に、新潟の草倉銅山で「成功」をおさめ、そこから多くの坑夫を連れてきたからであるという。
歴教協埼玉大会
境内には、足尾ダム建設によって水没した三川地域の、墓石を集めたピラミッド型の無縁塔がある。

竜蔵寺から渡良瀬川をはさんで対岸には足尾銅山の製錬所が廃墟のように立っているのが見える。加害者(製錬所)と被害者(坑夫)がとても近いところにいて驚いた。
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ここから排出された亜硫酸ガスによって竜蔵寺周辺の樹木も大きな被害を受けた。しかし、植林活動を続けるボランティア活動の結果、現在は木々が再生してきた。しかし、加害企業である古河は。これまで1本も植林していないという。

■足尾歴史館で昼食と見学
この歴史館は、「“負”の歴史ばかりが強調される足尾銅山には,日本の近代化を支える“光”の功績もあることを知ってほしい。」という考えからつくられたという。2005年4月にオープン。銅山に関する写真や道具,文献資料があり、古河と政界、官界とのつながりが見えてくるという点では、興味深い展示であった。

■星野富弘美術館 
渡良瀬川渓谷鉄道沿いの草木ダム近くにある美術館である。1991年に開館したが,2005年4月にリニューアルした。世話役の人たちが(女性参加者が喜ぶだろう。)と考えてコースに入れたとのことである。

(2)8月2日(水)
この日は、鉱毒の被害地域である渡良瀬川下流域を中心に見学した。

■雲竜寺
雲竜寺では、住職に説明をいただいた。
ここは、渡良瀬川の北岸に位置し、鉱毒事件の被害民の闘争本部が置かれたところである。1900年の押し出しの時に使われた半鐘、被告の碑、田中正造の墓などがある。
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■庭田邸(田中正造終焉の地)
田中正造が1か月余の闘病生活の末、息を引き取った家が、庭田清四郎家である。
現在は、ひ孫にあたる庭田隆次さんが、正造が病臥した部屋を当時のまま保存し、私たちに説明をしてくれた。
歴教協埼玉大会
「正造は暮らしを楽にしてくれない。」という不満から正造を支持しない人もいたという話やそれに関連して地元・佐野市では正造のことを学習しないなど、意外な話を聞くことが出来た。

■佐野郷土博物館
田中正造の資料や遺品を約1万点以上保存し、展示してある。

■田中正造旧宅
田中正造は、1841年11月3日、下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市)のこの家に生まれた。
「田中正造は、なぜ天皇に直訴したのか?」という参加者からの質問に対して、ガイドの赤上さんは、「政府は何もしてくれないので、天皇にすがるしかなかった。
天皇に直訴することがセンセーショナルを起こすので、足尾銅山について考えてもらえるのではと正造が考えたのではないか。」という話だった。

■谷中村遺跡
いよいよ最後の見学地、廃村100年を迎えた谷中村を見学する。
看板を見ると、日本公害の原点であったことが記されている。延命院共同墓地には、今も石碑の数々が残っていた。
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■まとめ
旧足尾町において、田中正造の評価は高くないそうだ。
それは、足尾銅山に関わりを持った人が数多く住んでいるからである。
そういう意味で足尾銅山鉱毒事件は複雑である。
また、100年前の足尾鉱毒事件であるが、いまだに地肌が見える松木渓谷。
まだ事件は終わっていないという思いを新たにした。

<2泊3日の現地見学に参加して>
ガイドの埼玉歴教協の人たちの優しさや尽力に感謝する。
事前準備・見学も6回したという話だった。
見学先のおいしい買い物(授業で使える教材やお土産等)の仕方を教えてくれたり,実に丁寧で、本当にこのコースを選んで良かったと心から思った。

7 最後に

私が歴教協全国大会に参加するのは、今回で5回目(沖縄・静岡・奈良・広島)であるが、この埼玉大会は、私の記憶にいつまでも残るとても素晴らしい大会だったと感じている。
私のわがままを聞いてくれたパートナーに感謝したい。愛娘・息子も期間中元気でいてくれて良かった。
本当に参加してよかった。
心からそう思える大会であった。
来年の兵庫大会(8月3日〜7日)には家族で参加したいと思う。

(『かごしま歴教協通信』 No.35 2007年1月)

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